日記帳

なんもないよ


まず大体の方は「初めまして」な訳ですけれど、なんで人は考えること・伝えることをやめられないんでしょうね。


パカパカケータイ、つまりガラケーがあった時代のあるあるなんですけれど、みんなそれぞれ個人でブログやサイトを立ち上げてたんですよ。めちゃくちゃ一般人なのに。


その中身はたわいもないことです。今日の授業で理不尽なことがあったとか対人関係がうまくいかないだとか、そういうの。


mixiGREE、モバゲーが衰退してきたけれどまだまだTwitterなんて浸透していない。ブログのトップページは個々が配置をデザインしてきらきらふわふわしていたり、シンプルだったり、真っ黒な背景に薔薇が敷きつめられてたり。


そんな時代に私はスカートのウエストを二回折って、真っ黒なアイライナーをまつ毛の生え際に仕込んでいく女の子として生きていました。


他人の考えや心情、その時の気持ちの昂りに触れることは当時からとても好きでした。


誰かの言葉や感情で必ずしも私が良い方向に向かうとは限りません。書かれていることがあまりプラスなことでなかったり、まして私への悪口であれば当然悲しくなるし。


それでも人は、私は、毎日生活している限り感情が側にあって考えて、自分の中で整理して、それを誰かに伝えたい。そしてそれを知りたいと思うのは至極当然な理なんじゃないかなと思います。


私達の祖先が、パカパカケータイもないようなもっともっと昔。コミュニティで生活していくため、自分自身の“個”を作るために考えて、伝えて、別の“個”も自分を繋いでいくために相手を知ろうとする。


先人のそのときの内容も狩の話かもしれないし、お腹がすいただけかもしれない。


そうやって、たわいもないことも共有していくのが自然に今も私達ができている、したいと思うのはなんでなんだろうと思うのです。


生物学的なことで紐解けば「他と共存して自分自身の生存率を上げるため」とかなんとかおお〜…って感じの答えが出ると思いますが、私はちょっとそれは野暮だなあって。


スピリチュアルに傾き過ぎるのもどうかなあと思うけれど、きっと人は人に自然と惹かれていくんだと思うし、そうだったらいいなあって。


きらきらふわふわでも、その実あなたの中身はもっと違うかもしれない。それを私は知りたいと思うのです。


そんなことが“さらざんまい”というアニメで学べるのでぜひ見てください。よろしくお願いします。